研究者
杉本武繁のプロフィール
携帯メールアドレス takeshige.537st@au.com 携帯 TEL 090-1175-4287
事務所TEL (088)-895-2290
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実家は高知県高知市土佐山東川537 (旧農家。)
300年続いた農家で農地は同じ地区の農家に貸して事業経営
1, 「杉本缶詰株式会社」を経営。
※ 缶詰会社を経営当時=高知県農水産加工技術コンクールにおいて、
第一回、第二回、連続一位を受賞。
その後は、高知新聞社長賞、高知県経済連会長賞を受賞。
2, 精密部品工場を経営。
※ 昭和47年設立の「社団法人高知県下請企業振興協会」の特設開校の
夜間工業学校「カリキュラム」を受講。 (東雲町に開校。)
3, 1975年(昭和50年)夏、研究発表。
※水と液状炭化水素(石油系、炭化水素)の混合ガスの製法を発明。
4,1975年(昭和50年)11月22日、ガソリン自動車に、「水とガソリンの混合ガスの発生装置」を搭載して高知県庁前を午前8時に出発、
同行の報道陣NHK他6社が同行して室戸岬経由で四国一周748kmの公開実験に成功した。
※ 当時は、NHKのニュース番組には度々登場。
関西テレビでは12月6日AM、全国放送。
5,1976年(昭和51年)高知大学理学部に特例入学。
(昭和51年― 昭和56年卒)
※ 高知大学理学部、安井隆次教授の指導で基礎研究。
研究所のstaffは、高知大学理学部、安井隆次教授と通産省工業技術院公害資源研究所、主任研究官、蓜島馨始氏の指導で研究員6人で多くの実験を実施。
※ 1976年(昭和51年)10月30日AM、
関西テレビで全国放送「文化庶民勲章」を受章。
その後、多くの研究成果を発表、その間には国内企業が多く訪れ、
その都度立ち会い実験を行い、どこの社にも実験結果を確認させた。
※ 1978年(昭和53年)2月12日、テレビ朝日で(AM8:30-9時)
全国放送。中小企業庁提供、
テーマ、新時代の中小企業、省エネルギーにかける。
企画=中小企業情報化促進協会。
協力=全国中小企業団体中央会。
★ 基礎研究では、発熱量測定実験回数308回、
★ ガス組成分析実験回数350回、
※ 水と化石燃料の混合燃焼などを含めると実験回数は1000回を超えている。
※ 基礎研究のまとめは、ホームページの左の[2:英文基礎研究のまとめEnglish writing]ご覧ください。
6,1978年5月に兵庫県尼崎市塚口に国内外の活動拠点の事務所を開設。
(淀川製鋼顧問、経営経理博士、井原隆二の自宅内に事務所を開設)
国内大手企業3社と基礎研究、中小企業2社と技術援助契約を締結した。
※ 海外では、
1978年12月25日 台湾(taiwan)台北―高雄間の公開実験に成功。
その後日、軍から連絡を受けて特別に蒋介石のお墓参り、記念バッチを受け、その後は台北空港では国賓通過門で台湾入りが続きました。
※ 1979年(昭和54年)3月末、高知市内での基礎研究を終了。
※ 1981年5月5日、 韓国(korea) ソウルー釜山間の公開実験に成功。
省燃費40%を実証。テレビは特集番組、新聞は多く報道された。
特記事項1,
1979—1981年の間は自動車のエンジン改良の研究に徹した。
この期間には多くの公開実験を実施、その都度、目的のデータを実証したために、多くのTV appear、newspaper、magazine、掲載されアジアでは有名な発明になっていた。
7,1981年7月、水のタンクの中でゴミが増加して水の供給回路が詰まる重大な欠陥が発覚した。
日本の当時の技術ではengine troubleの解決ができなかっため、それまで省燃費を目的にしていたエンジン改良(improve engine)の研究を中止した。
特記事項2 、
※ 1986年10月、ジャーナリスト (journalist)職で取材活動を開始。
※ 2008年6月、当時高知工科大学の平木昭夫教授(大阪大学教授)を取材中に経歴の質問を受けて発明と研究実績を説明の結果、
昔の研究実績が評価されて大阪大学(Osaka University) 平木昭夫研究室に招聘される。
大阪大学(Osaka University)(国立大学)
先端科学イノベーションセンター (innovation center)
環境エネルギー(an environment energy)
平木 昭夫 研究室 (takeshige sugimoto)
※ 2008年度に研究目的を変更
◆ 1975年から[水と液状炭化水素の混合ガスの製法技術]による[クリーン燃焼と省燃費]を目的にしていたエンジン改良(improve engine)と家電暖房機器の研究を中止して地球の人類のために環境エネルギーの研究に目的を変更した。
地球温暖化の課題の解決を目的の研究。
※ 研究の成果1.
[新しい現象の発見]によって化石燃料(ガス、液体、固体)木質バイオ等の[理想のクリーン燃焼を確立した]
※ 研究成果2.は研究中
1976年、開始の燃焼工学研究の最終テーマ。
「CO2の分解とその処理システム」の技術の確立へと研究を進めている。
※ CO2 の増加による地球温暖化の大きな課題を解決には、
◆ すべての煙突、、自動車の排気口などを含めて、すべての燃焼機関の排気口から排出されるCO2を排気口の直後に分解してO2を大気に放出し、COは再燃焼のシステムの技術の確立を目指す。
※ 全世界で大量に排出されているCO2を大量に削減の方法としてはこのシステム技術の確立が最も優れた方法であり、最も優先すべき研究である。
※ 研究者の日常は自宅の敷地の隣の40㎡の小さな研究所で補佐一人と研究しているので運営費用が少なくて自費、独力で目的に向かっている。
大阪大学
先端科学イノベーションセンターの経歴
2008年(平成20年)6月
大阪大学工学研究科フロンティア研究センター
平木研究室:新エネルギー・環境研究開発プロジェクト
技術アドバイザー
高知分室長
(高知分室=スギブ科学研究所内)
2009年(平成21年)6月2日
大阪大学
先端科学イノベーションセンターに産学連携の研究をグルーを立ち上げた。
代表研究者:高橋康夫教授。
研究所長 杉本武繁
研究テーマ 「燃焼機構の解析。」
高知の民間会社[合同会社:高知技術通商エヌエス]を設立 (高知の西山系)
◆ (民間会社が取り決めた協定を守らなかった為に)
※ 2009平成21年8月18日付けで終了。
※ 2010年(平成22年)12月21日
大阪大学
先端科学イノベーションセンター
(環境エネルギー・情報通信システム開発プロジェクト)
平木 昭夫教授の研究室にて、
燃焼工学担当。
高知分室長 杉本 武繁
高知分室長補佐 森田 正仁
◆ 2014年(平成26年)10月23日
大阪大学
先端科学イノベーションセンター
(環境エネルギー・情報通信システム開発プロジェクト)
平木 昭夫研究室
焼工学担当。
産学連携プロジェクト
主任研究員
(燃焼工学) 杉本 武繁
環境エネルギー (高知分室長)
2016/11/26
日本国 〒781-3222
高知県高知市土佐山東川537
スギブ科学研究所(SUGIBUKAGAKU research )
杉本 武繁(takeshige sugimoto)
以上
(以下は兼業職)
1986年10月、創刊 雑誌の出版
1991年2月、新聞の発行
2001年2月、インターネット報道開始
2023年3月、高知WEB NEWS
(注) ジャーナリストとして社会活動の実績が多い。
※ リンク先、URL-https://kochiwebnews.jimdofree.com/
(注)Ctrl押した状態で手のマークをクリックするとURLのページが開けます。
kochiwebnews ページ! (jimdofree.com)
杉本武繁の社会活動の実績
1988年7月25日発行の雑誌[ジャセスNEWS]に悪臭公害の掲載がきっかけで, 悪臭公害を受けている住民の代表を引き受け、横山龍雄市長と吉松のぼる市議会議員に働きかけて養豚場の移転先を模索、吉松のぼる市議と2人で高知市の北部、入定地区に交渉に通い、やっと養豚場の建設の同意を取り付け、移転先の地主とも契約を成立させて移転先決まる。
※ 1991年(平成3年)1月10日には比島の養豚場の課題[20年目に解決成る]の報道をした。
この報道の直後から鏡川漁業協同組合が大反対の活動を展開、移転中止となる。
◆ 引き続き新たな移転先を模索したが移転先のめどがなく中断、困っていたがこの課題の解決に熱心だった高知の財閥、西山合名会長の西山利平さん(自民党高知の最高顧問、高知市商工会頭)のアドバイスを受けて、悪臭公害の養豚場が弥右衛門の土地区画整理事業の核となる場所であることから廃業保証として1億円県から出してもらう方法のアドバイスを受けて直ちに知事室に要望した。
その後、知事室から廃業保証として1億円出してくれる回答を得たので横山龍雄市長と吉松のぼる市議会議員にその報告をしたところ、 横山龍雄市長からは、杉本君が県からそれだけの協力を取り付けてくれているなら僕も高知市から1億円出すので2億円の廃業補償金で養豚農家と話をまとめてください、と頼まれた。
横山龍雄市長からの申し出を受けて吉松のぼる市議会議員と当方の2人で養豚農家と話し合い、その結果、廃業保証金2億円で廃業が決まり、過去においては選挙の都度、国会議員や県議、市議たちが、この悪臭公害の課題の解決を私がやります。
その繰り返しの演説が続いたが、誰も役に立たなく高知市の悪臭公害の重要課題を20数年ぶりに3人で解決した。
この長年の高知市の重要な課題の解決には当時の高知市の担当課はなんの役にもたたなかった。
※ 1992年(平成4年)1月に解決成る。
2, 雑誌の記事が解決へ、
土佐山村の鉱山開発は、日本セメント土佐工場が昭和55年頃から予備調査を開始、その後には村へ正式に鉱山開発の事前調査を申し入れたことから計画がクローズアップされ、鏡川流域の公害問題などを含む調査特別委員会設置となっていた。
◆ 1987年(昭和62年)月刊誌の 1月 5日号に、[日本セメント土佐山村石灰石鉱山開発計画]を掲載した。
村民の中からは反対運動の看板が2箇所も設置され、当時の鎌倉利夫村長には積極的な同意の態度もなくて、県としても困っていたらしく、知事室からこの計画の推進を頼まれて、当方の居住が土佐山村の西部の居住にありながら当時の区長に頼んで村長を土佐山の西部の東川、久万川の総会へ2度も呼び、石灰石鉱山開発計画に同意するように求めて土佐山村態度の決意を迫った。(当時の村長の運手は門田博文氏)
それに対して鎌倉利夫村長は、この地区からは大変な勇気をもらいまたので必ず村議会を通します、そう述べてその後、村議会で石灰石鉱山開発に土佐山村の同意が採択された。
(村民の反対派を記事で鎮圧)
※ 月刊誌の1987年 4月 5日号には鎌倉利夫村長が決意表明を掲載。その後は、関係地区には長年に渡り保証金が支払われ、住民には雇用が続いた。
後日、県の工業課、地場産課から謝礼を受けた。
3, 環境保護活動の先駆者として知られている山崎圭次さんに要請されて[浦ノ内湾の浄化対策活動]を開始。
(この課題は、土佐市と須崎市の間で20年間も停滞していた課題と言う)
★[浦ノ内湾をよみがえらせる会]を設立。
★会長、山崎圭次さん。
山崎圭次さんの要請で1989年11月、事務局長に杉本武繁が就任。
★ 基本活動は、酸欠の湾に外洋の流れを、
[浦ノ内湾奥から外洋へ、トンネル構想]を提唱される。
土佐市と須崎市の長年の課題の解決に取り組み、土佐市長と須崎市長に働きかけ、土佐市議会議員と須崎市議会議員の6割の署名を受けて更に、 深浦漁協協同組合の組合長、福本重明氏の賛同を得て、
(1990年)平成2年6月9日[ホテルグリーンピア]に国会議員も数人出席されて、[シンポジュウム横浪の課題]開催した。
その後、県も出席の上で高知第一ホテルで[横浪の課題協議会]を開催。(1991年1月10日発行までの新聞には経過の掲載がある)
このような経過でその後、国会議員と土佐市、須崎市の市議会議員と深浦漁協協同組合員の署名活動を得て平成4年11月18日午前中に橋本大二郎県知事に陳情、引き続き県議会議長に[請願書]を提出、その後、県議会で採択された。
(当時のテレビと新聞には報道の記録がある。)
★ 山崎圭次さんはその結果を見届けて新阪急ホテルで泣いて謝礼を述べてその1週間後にこの世を去った。
※ 事務局長の杉本武繁は山崎圭次さんの意向によって全体の主役で活動した。
平成6年の春(1994年)当時高知の木材協会の中平一夫会長の提案で高知県の森林資源の活用の為には木材会社を一か所に集める必要がある、その発想から中核拠点構想の提案を受けて有志が懇談。
[水と緑の森林資源活用協議会]して平成6年5月5日に民間プロジェクトが設立された。
※ この協議会には全県下の市長、町長、村長、木材協会、森林組合員が参加され200余名の県下の組織となった。
※ 杉本武繁が事務局長に選任され推進企画及び事務局の運営をすべて担当。
※ 運営資金は2社のスポンサー企業が引き受けた。
平成6年の夏第一回目のシンポジュウムを三翠園で開催。
平成6年12月4日には中核拠点の場所を南国市白木谷小倉地区の原野約100ヘクタールに決まり、小倉地区は開発計画に同意の調印され、続いて南部の隣接地区も計画に同意され調印された。
※ 中核拠点の現地の測量調査、敷地内の建築構想図などの設計などは事務局長が担当、更に中核拠点へ企業誘致の地元法人として[(有)黒岩興産]の設立まで事務局長が担当。
※海外の木材の輸出国の実態と木材の消費国と言われる国々の実態の調査取材を事務局長担当、
※ 平成7年6月11日から23日まで( 台湾, マレーシア、インドネシア、シンガポール、香港(消費国)、 オーストラリア、ニュージーランド(港には日本向けの輸出材の貯木場をリポ゜―ト)、アメリカのロサンゼルス、ワシントンの街中)を取材。
※ 平成7年9月11 日から15日までは、ニューヨーク、カナダのトロントとバンクーバーを取材。
※ (最先端の全自動の製材所と木材の輸出港を取材)
※ 平成7年10月13 日から18日まで中国を取材。
(上海、北京、徐州、黄河の上流鄭州、穴蔵の住民を取材)
その後に、韓国を取材。中国、香港、韓国などは(消費国として取材した)
尚、(東南アジアには11月19日―22日まで再度取材している。)
オーストラリアのブルーマウンテン、インドネシア、ブルネイ王国、
※ 日本国内では、島根県、熊本県、天竜川上流、などを取材。
結果は、世界11ケ国の取材、リポート番組を作成してシンポジウムで発表した。
この取材は毎日新聞高知支局の協力をいただいています。
※ シンポジュウムには国会議員、県知事からは激励のメッセージを受けて順調に進められていた。
※ この中核拠点へ進出の最有力企業となるはずの大手の木材会社が倒産されたので中断。
★ その後には、本県の林業には特に熱心だった嶺北の森林組合などの努力によって嶺北に立派な工場が出来たので民間活動組織の※ [水と緑の森林資源活用協議会]の活動が無駄ではなかったことになった。
以上、
※ 平成8年(1996年)までの杉本武繁の社会活動実績。
これまでの社会活動を振り返って思うことは、
1, 政治家には、課題を解決するための方法の企画力と具体的な進め方と運営方法の知恵がない、たとえば役員会を開いても自慢話と雑談ばかりで役には立たない、社会活動をやるたびに思ったこと。
◆ 特に自民党の政治家は会議には良く出席、署名は良くしてくれるが、それだけで、なんの役にもたたなかった。
2, 県庁、市役所の職員たちは、地域の課題の解決の知恵も能力もないことを感じた。
3, 報道各社の報道で感じたことは、黒でも白に思わせるような書き方をする記者いることを知った。
4,高知の時代は変わった。
地域の課題解決の為に、活動資金を出して社会活動を支援した西山利平さんや 環境保護活動を起こした山崎圭次さんのような立派な人物は今の高知にはいなくなった。