土佐の歴史と現代    (土佐を知る)の要約編

土佐の国

一万年前(先土器)四万十川最上流の支流北川川の河岸段丘影野地遺跡(梼原町初瀬)でチャ-ト製ナイフ形石器を検出とある。
このころから人の生活があったことがわかっている。
 
土佐では縄文時代(紀元前2-3世紀)のころ稲作が始まり(小国家が分立する)
弥生時代、(3世紀中頃)大和時代(4-5世紀)へと多くの遺跡が発見されている。

    ◇ 流人文化の土佐 ◇
 
 崇神天皇の時(300年)貝田禎造の説、天韓襲命が(あめのからそのみこと)[波多](幡多)の国造に任命され、その後、成務天皇の時(335-347)小立足尼が(おだちのすくね)[都佐](土佐)の国造に任命されたと記されている。
(注)土佐が大和朝廷の支配下に入った経緯を示していると思われる。[資料= 国造本紀 ]

 高知は大化前代(6世紀)には[都佐](土佐)[波多](幡多)の二国にわかれていた。

明和9年( 安永と改元)から安永4年(1772-1781)にかけて土佐の国は7郡にて東西洋路九九里◇浦の数九九浦◇東西数十里南へさし出、◇三つの輪組で、みかづきのごとし(資料=土佐一覧記)

土佐の歴史に残る偉大な人物たち

幕末は坂本龍馬・明治は板垣退助・昭和は吉田茂:そして平成へ?

◆1866年1月、京都薩摩邸で坂本龍馬の仲介で薩長同盟が成立する。

◆1867年 西郷隆盛が来国、山内容堂と会談。この年海援隊が組織される。
 ※同年11月15日、坂本龍馬(32歳)中岡慎太郎が京都近江屋で暗殺される。
坂本龍馬(1835-1867)

※ 1868年=明治元年

◆1869年 (明治2年)山内豊範(16代藩主)が薩長肥藩主とともに版籍奉還を建白する。
■ 山内豊範が高知藩知事となる

◆1871年 西郷隆盛、木戸孝充、大久保利通が来国(土佐に来る)この年に廃藩置県が発せられ高知県となる。
(西郷隆盛は薩長同盟が成立から1年後と、5年後の2回土佐に来る)

◆1874年自由民権運動の板垣退助ら民撰議院設立建白書を提出する。

◆1881年(明治14年)板垣退助が東京で自由党を結成、初代総理となる。

◆1881年(明治14年)国会開設の詔勅が発布がだされる。
 総理、板垣 退助 ・ 副総理 、 中島 信行 ◎ 後藤 象二郎・馬場 辰猪
・竹内 綱
(小松製作所の創業者で戦後の総理吉田茂の父)林 包 明 ・大石 正巳・総理以下、重職役員11名の内7名までが高知県人であった。(資料=高知県歴史書)

◆1882年 板垣退助岐阜で遭難する。

旧制高知高等学校の[豪気節]=[ 南のお國は土佐の国、革命と自由の生まれた地]
[自由は土佐の山間より出ず]◆ 「 板垣死すとも自由は死せず」の名言が残る。

◆1885年( 明治18年)2月7日18時30分、岩崎弥太郎(51歳)死去。
西南戦争(1877年(明治10年)現在の熊本、宮崎、大分、鹿児島で起きた戦争)で大儲けをした、三菱財閥の創業者。(岩崎弥太郎=1835年ー1885年)

◆ 1892年 植木枝盛(1857年土佐の国、井口村生まれ)が死去する。
 ◎ 自由党員で憲法草案者「日本人民は自由に集会する権利を有す」など、、、政府が憲法に従わないときは、人民は政府に従わなくてもよいとし「日本国民はこれを覆滅して新政府を建てうる」と規定したことで有名。


◆1896年(明治29年) 板垣退助は伊藤内閣の内務大臣となり自由党総理を辞する。
  
◆1900年(明治33年) 幸徳秋水が非戦論を発表する。
 ( ジャーナリスト、思想家、社会主義、無政府主義者、中江兆民の門弟、、大逆事件で処刑された12人の1人)
 ※1871年(明治4年)(11月5日-1911年)(明治44年)1月24日没。

◆1901年(明治34年)中江兆民が死去する。民主主議思想を国民の間にひろげ自由民権運動の中心者。

◆ 1919年(大正8年)板垣退助が死去する。
(1837-1919年、82歳で没)

◆1946年(昭和21年5月22-22年5月24日)吉田茂が内閣を組織する。

◆1955年(昭和30年)吉田茂内閣が総辞職する。 この年自由党県支部が発足する。
◆1967年(昭和42年)吉田茂が死去し、県葬が行われる。
 
◎終戦後(昭和21年)戦後最初の政党内閣をつくったのち自由党総裁となり1947年一時、社会党に政権をゆずったが1948年から1954年まで政権を担当。
(1878(明治11年)-1967(昭和42)(小松製作所の創業者の竹内綱の五男)

資料調査
先史・古代 、高知県の歴史 、歴史解明辞典3、工業ハ豊国ノ基(高知工業高等学校同窓会編)、、沈黙の巨星(北国新聞社出版局)
インターネット検索=フリー百科事典、高知県立図書館=高知市・市民図書館。

2010年12月18日
資料調査と編集
 JSN.COM通信
編集委員 杉本 武繁

高知の危機

高知県には日本史に名が残る多くの偉大な人物たちがいる。

しかし、戦後の昭和生まれから平成の現代にかけて日本史に名が残りそうな人物は見えない。
かっては都からの流人文化の土佐、そこからは多くの偉大な人物たちが生まれた。

今は、歴史上に名を残しそうな土佐の人材も見えず、、ただ歴史上の人物の商品化の開拓に必死に税金を使っているように見える。
税金の使い方が既に衰退の一途にある中心街の行事ごとに多くつかわれ、本県郡部は衰退の一途にある。

その予算を土佐の豊かな天然資源を活用の地場の工業育成に投入できないのだろうか?

今、産業界を見渡しても、高知港周辺で栄えた港7社は次々と去り、そこには雇用の拡大の期待がもてる企業も見えない。

それは優秀な頭脳の人材の流出、それとも土佐人の労働の質に問題があるのか?

土佐へグローバル企業の進出の見通しがない今、本当に土佐はこれでいいのか ?

平成の展望に向けて県政、市政のトップと、経済界人、政治家のみなさんは、それを深刻に考えるべき現状にある。


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